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  鷹峯の秋、大徳寺

そろそろ市内も秋色に染められる季節。チャリでまずは鷹峯へ。

鷹峯の光悦寺地図リンクは1615年この辺りに工芸集落を作った本阿弥光悦翁の元住居。その為お庭の中に家屋や茶室が点在しているという感じです。本堂や鐘楼は拝観入口の手前にあります。
庭内の紅葉は一部で赤く染まり、まだ見頃は先でしたが一足早い紅葉を楽しみました。
光悦翁は陶芸、書道絵画、蒔絵、彫刻など多彩な方面に精通し、その表現法は斬新的で秀逸でした。入苑者は蔵にある光悦作品が見られますが無知な私には良さがわからないので残念です。


光悦寺から東へ行ったところに常照寺があります。参道と本堂だけ見て有料の庭園には入りませんでした。その後、近くの尺八池に立ち寄りました。すぐそばにはゴルフ場があってプレーしている姿が見えました。


南下して紫野の大徳寺に来ましたが空模様が悪くなってきました。外での撮影はやめて大徳寺の塔頭では一番古い龍源院を訪れます。
ここは石庭が3つもあります。まず入口を入った左の書院の軒先に細長い阿吽の石庭、その奥の方丈には一番広い石庭があります。そして廊下に囲まて我が国最小の石庭「東滴壺」と呼ばれる坪庭までありました。個人的にはこの建物の中央に位置する坪庭に想像が刺激され好きです。真ん中の石をのけると別宇宙とつながっており吸い込まれたりして…
竜の襖絵は筆者も年代も不明ですが迫力ありました。屏風絵の墨染の衣をまとった僧侶はその昔堺の松林寺の裏山に棲む人を救う狐でした。現在も「白蔵主」と称され松林寺の山内に祀られているそうです。


次に同じく大徳寺の瑞峯院。室町時代の九州豊前豊後の領主でキリシタン大名の大友宗麟公が創建したお寺です。方丈前と方丈裏手にそれぞれ枯山水の石庭があります。裏手の石庭は大友宗麟公にちなんで十字の形に石が組まれています。また利休が唯一残した国宝の茶室「待庵」が復元公開されていました。本物は大山崎の妙喜禅庵にあり日本に残る3つの国宝の茶室のひとつと言われています。石庭や茶室では大学生(?)が案内していましたが、観光ガイドの研修なのかも知れません。


前半は紅葉巡り、後半は石庭巡りとなりました。たまには石庭をゆっくり見て邪念を払うのもいいですね。禅寺の奥深さを垣間見た気がします。小雨も降って清められた帰り道となりました。
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