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勧修寺、随心院
自転車で勧修寺と小野小町ゆかりの随心院に行きました。

勧修寺は西暦900年醍醐天皇が母である藤原 胤子(いんし)を弔うために胤子の祖父で宇治郡の郡司宮道弥益(みやじいやます)の屋敷を寺にしたのが始まりです。本尊の千手観音は醍醐天皇の背丈と同じと言われています。
随心院は西暦991年仁海僧正によって建立された真言宗善通寺派の寺院でそれより100年余り前には小野小町が居住していた地でもありました。ことに小町を慕い通い続けやっと逢瀬が叶う100日目の前夜に病死した深草中将の悲恋話「百夜通」の舞台として有名でそれ故にロマンを感じ訪れる人が多いようです。地図リンク

深草側から名神高速に沿って山科へ入ります。

勧修寺に来ました。氷室池では睡蓮や杜若が咲きます。

鯉が元気よく泳いでいます。

池の中央には大きな樹木が茂る島があり、自然あふれる眺めが特長です。

睡蓮の紅色が鮮やかです。

池のまわりは木や竹やぶで薄暗い場所が多くここが寺の境内であるのを忘れがちです。

書院の前庭にある灯ろうは徳川光圀公(水戸光圀)の寄進で「勧修寺型灯篭」と呼ばれています。

勧修寺からも近い随心院に来ました。
夏は通り抜ける涼しい風を感じながら、のんびりするにはいいですね。

本堂から前庭を見下ろします。

桃山時代築の本堂以外は江戸時代の建物です。

こちらは長屋門と呼ばれる建物です。

随心院を後にして、勧修寺を創建した醍醐天皇の御陵に来ました。参道に迫り出す松の図。

醍醐天皇は藤原時平らの画策により菅原道真を左遷させた張本人なのですが、その後は道真の怨霊に悩まされたといいます。

京都市内に戻ってきました。
稲荷大社近くの奈良線の踏切。すぐ前がお寺です。

竹田の高速道路建設現場に寄り道。
京セラ本社。
この建物は両面太陽光パネルに覆われていました。
たまにはこんなのを写すのも面白い。

名神高速の上をまたいでおりました。
勧修寺の関連ページ http://www5a.biglobe.ne.jp/~kyouara/gazou22/yamasina/yamasina.htm
              http://www5a.biglobe.ne.jp/~kyouara/gazou22/2004uji_.htm     
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