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夕桜・夜桜(祇園桜等)
京都駅の東側はかつて小さな靴屋が多かった所。そのあたりは昔からの古い家並みがまだ残っている所があるものの、ここ数年の京都市の同和事業で大きな市営団地が建てられ、かつてバラックが並んでいた鴨川べりにはよく整備された公園と見事な桜並木が続きます。私の若い頃の風景と比べると大きな変貌です。と言っても、わかっている市民の多くはこの地区には近づきたがらないので、私も例にもれず噂だけの未知のゾーンを遠くから見ていただけでした。
そんな一画にある写真の柳原銀行記念館。明治32年被差別部落民のために建てられましたが、昭和2年に閉店しました。河原町塩小路通りの南西角に木造の古くて黒っぽいうす汚い建物があったのを憶えています。8年前に24号線の道路幅拡張に伴い取り壊しが計画されましたが保存の声が上がり数100m離れたこの場所に移築・復元され市の有形文化財に登録されました。京都市と解放同盟との癒着疑惑とか疑問はありますが、この建物の保存は納得できます。
柳原銀行記念館を後にして、知恩院三門前の桜、夕暮れの東山の祇園あたりをうろうろし夜桜を楽しみました。
今回は三脚なし。その変わりにISO800のフイルムをカメラに入れてきました。それでも手持ちの限界ぎりぎりへの無謀な挑戦もあってか明らかなブレ写真が少なくありませんでした。

柳原銀行記念館。
今は部落解放運動などの資料室となり見学出来るそうですが…扉が閉まっているので入りにくい。

近くには江戸時代にこの辺りで貨幣を鋳造した事を説明する立て札がありました。
敷地内は桜がきれいですが、周囲は工事現場の様相です。

知恩院にやってきました。
三門は時間が過ぎてすでに閉められていました。

幕府の命で日本一大きな三門を造った棟梁の五味金右衛門は、予算オーバーの責任をとって夫婦で自刃したと言います。

楼上には二つの白木の棺が置かれ、その中には金右衛門夫婦自作のそれぞれの木像が入っています。
金右衛門さん夫婦の鎮魂を祈りながらこの門をくぐらないといけないなあ…

陽が傾いてきたのでこの後花見客の多いお隣の円山公園へ。
今夜の夜桜は天気に恵まれ、まさに花金の今日が最高の人出のはず。

円山公園の有名な枝垂れ桜。
夕陽を浴びてきれいです。

趣向を変えて、逆光、夕暮れ前の枝垂れ桜を撮りました。

ライトアップされた夜も魅力的ですが、この時間の暮れゆく空に浮かびあがるシルエットも魅力。

薄い雲でもあればまた雰囲気が変わり面白いと思います。来年の楽しみが増えました。。

長楽館の裏。これから勤め帰りの花見客が続々と訪れます。
高台寺近くの「ねねの道」。
店の間が石塀小路。

人力車が並んでいました。

人と待ち合わせ夕食の後再び円山公園に来ました。

あちこちで盛り上がっていましたが、枝垂れ桜の場所は宴会禁止です。

若者が多い公園の中、店のテーブル席は中高年のサラリーマンが多いようです。
三脚なしで夕方の撮影を…ということで初めてISO800の高感度フィルムを使った印象は思ったより粒子の粗さは感じなく、画質は所有しているデジカメのISO400より良い事です。フィルムの進歩を見た気がします。
どれがフィルムで、どれがコンパクトデジカメの画像か?…トリミングしていない限り画像の縦横サイズの比率がちょうど3:4がデジカメ画像です。写真を撮られる人には今さらですが一応付け加えておきます。
翌日土曜日は、一転して朝から曇り。黄砂のおかげで一日中視界が悪く埃ぽかったです。
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