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京都中央卸売市場から三条大橋方面
地元中の地元と言ってもいいぐらい中央卸売市場は近く大型スーパーがなかった当時は近くの七条通りの商店街は昼時買い物客であふれていました。年末の賑やかな界隈をみかん1箱買いに行くのが私の役目でした。 今回の目的地は豊臣秀次(6月8日の近江八幡参照)らを弔う瑞泉寺。角倉了以(6月1日の嵐山参照)が秀次と処刑された一族の亡き骸があった荒れ果てた塚を発見し、その場所にお寺を建て供養しました。 |
中央卸売市場内には多くの商店が入っています。小売もしてくれる店もあります。 地図リンク |
敷地は広く夜から早朝にかけて全国から青果や魚などがどっと搬入されます。以前は昔あった梅小路駅より鉄道レールが引き込まれ貨物車が出入りしていました。 |
はるばる旅してきた北海道名寄のカボチャです。 |
こちらは富良野と北見の玉ねぎです。 |
市場の五条通り(国道9号)側玄関 地図リンク |
気になる人面犬?がお出迎え 店名も「坦坦」の坦坦はホットとクールが選べます。欧風風味のスープが常識を覆してくれます。辛いのが苦手でも大丈夫。店内は音楽から装飾まで中途半端な無国籍風(?)地図リンク |
御池通りに出て東へ。 | 木屋町三条の瑞泉寺。地図リンク 秀吉の後継者とされながら秀頼誕生後の豊臣秀次は秀吉に軽んじられ次第に不和の間柄になる。最後には謀反を疑われ切腹を命ぜられた秀次は高野山で自害し三条河原に首がさらされました。1595年7月15日のことです。 |
しかし悲惨なことに秀次の切腹後、秀次の3歳から9歳までの子供5人を含む39名もの一族が三条河原で処刑されました。子孫を絶やす理由で罪のない幼い子供まで殺すなんて秀吉はいったい何を血迷ったのでしょうか。 秀吉死後の豊臣家の運命は秀頼の無能さをさらすばかりで、秀頼22歳の時大阪の陣に破れて自害し豊臣家は滅亡しました。 ここには秀次と処刑された39名の霊が眠っています。 |
かつては処刑場だった三条河原。多くの無実の罪人も斬首されました。 ここでどれだけの人が無念な思いを残し刑に処せられたのでしょうか…そういう思いで見てしまいます。 地図リンク |
平和な風景 戦乱の京都の歴史があった事を忘れます。 |
帰りは三条堀川から西に続く庶民の街三条商店街を通ります。西友の隣にパチンコ屋があった時は「たぬ吉君」で何度か遊んでいました。そういえばあれからパチンコしなくなりました。 地図リンク |