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武蔵ゆかりの一乗寺周辺

一乗寺の白川通を東に行くと京の定番観光地にはない静かさと落ち着きがあります。宮本武蔵ゆかりの地や蕪村ゆかりのお寺などを訪ね、曼殊院(まんしゅいん)に向かいました。

チャリンコで一乗寺へ行く途中京都大学のキャンパスが建ち並ぶ東大路を逸れて京都の人には「吉田さん」と呼ばれている吉田神社に立ち寄りました。地図リンク

吉田神社の境内。
変わった社殿があるのですが吉田神社についてはまたの機会に紹介します。

出たのが遅かったので、もうお昼。一乗寺はラーメンの激戦区。中でも「東龍」は評判の人気店です。
地図リンク

見た目よりまろやかでとても美味しいスープ。チャーシューもグーでした。

白川通に面していきなり大階段がある京都造形大学。ここの学生は嫌がうえにも足腰が鍛えられます。地図リンク

白川通に別れを告げ山の方に向かいます。
佛日山金福寺は西暦864年慈覚大師が作った聖観音菩薩の像を祀り創建された臨済宗のお寺です。地図リンク

中央の萱葺きは松尾芭蕉が当寺の鉄舟和尚と親交を深めていた事から人々の間で芭蕉庵と呼ばれるようになりました。

蕪村の墓。与謝野蕪村一門は荒れていた庵を再興し、しばしば句会を開いていました。周囲には芭蕉や蕪村らの句碑もあります。

静かで落ち着いた雰囲気です。舟橋聖一の「花の生涯」のヒロイン村山たか女は尼となってこの寺に入りました。

金福寺の近くの石塀には長々と横たわる松の枝があります。西山善峰寺の竜遊松(だったと思います)を思い起こします。

京都郊外ののどかな雰囲気をのんびり散策するにはいい所です。

詩仙堂の前を過ぎると宮本武蔵が一乗寺下り松の決闘(吉岡一門との決闘)の前に訪れた八大神社があります。地図リンク

ガラスケースには当時の下り松の古木を保存し見ることができます。

我れ神仏を尊んで神仏を恃まず(武蔵「独行道」)
武蔵は拝殿の前に来て神仏にすがる自分の弱さを悟り祈願するのをやめて、そのまま下り松の決闘の場に向かったといいます。 

詩仙堂の手前の道を北に向かい山沿いの道をしばらく行きます。曼殊院は門跡寺院で書院造りの広いお寺です。地図リンク

玄関にはみごとな屏風の絵があります。書院など各部屋にも桃山、江戸時代に書かれた襖絵や屏風絵があります。

「虎の間」の襖絵(桃山時代)。狩野永徳筆と伝えられています。

小書院の富士の間から東側の庭を眺めます。
部屋内部を撮ったのですが撮影に失敗してしまいました。どの部屋の装飾も見ごたえあり一見の価値ありです。

小書院と庭園。二重の屋根になっています。影が多く写真的には午前中が良かったようです。曼殊院については写真では伝えられない素晴らしいものがあります。また紅葉時に訪れてみたいと思いました。

曼殊院入り口付近に咲くつつじ。ほとんどのつつじが終わりでしたがここだけ満開です。
一乗寺下り松。宮本武蔵と吉岡一門との果たし合いが行われた場所として巌流島に次いで有名です。
何代目かの現在の松はまだ小さいです。当時の松はもっと大きかったでしょう。
地図リンク
雲母(きらら)漬けの穂野出は下り松のある辻を北に行ったすぐの所にあります。
小さい茄子を白味噌で漬けています。美味しいですがやや甘いので甘党にはおすすめです。でもお酒の好きな人には・・・・?です。以前行った時店の主人はお客とのコミュニケーションを大事にしている方のようでデパート等からの出店の話を断っていると話しておられました。
雲母の由来はこのあたりの一乗寺から比叡山への登山道を雲母坂(きららざか)と呼んでいた事からきています。昔は鉱石の雲母(うんも)が出土していたそうです。
ちなみに近くを走る叡山電鉄の特急電車の名称も「きらら」です。
20年ぐらい前この辺りに行った時は畑の多い事が印象に残っています。今はかなり宅地化されてのどかな風景が少なくなってきたように思いました。時代の波だからしかたありませんが、京都に限らず昔ながらの風景が失われることは寂しいです。



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