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  チャリでお散歩C
今回はチャリのお散歩とありますがお散歩というには途中ハードでした。ではなにを以てお散歩なのか、という固いことは抜きにしてご覧いただければ有り難いです・・・
七条から高瀬川沿いに上がった昭和の街並み。
東山方面へ向かいます。

渋谷(しぶたに)通り馬町西入る付近。
実は京都には空襲のあった場所がいくつかあり、馬町では41人の犠牲者がありました。

さらに山側の渋谷通りの上り坂。急坂では自転車押しながら歩き、1号線の下をくぐり抜けて横断します。

東山トンネル(右)の左側に歩行者用の花山トンネル(花山洞)があります。

明治36年開通の古いトンネル。心霊スポットと聞くからか内部は何とも言いがたい冷気を感じます。

無事にトンネルを抜け山科側へ。

山科側に下りる道はくねっているので途中で方向感覚を失って迷いそうでした。
いつしかミニの外車専門店を発見。

元慶寺。877年僧正遍昭開基の天台宗のお寺で西国三十三ヵ所のひとつ。若い花山天皇が政略的陰謀によりここで出家させられたとも言われています。

迷わないうちに早々と戻りました。
山科側の東山トンネルからはまさに車が飛び出してくるという感じ。

いやなトンネルをそそくさと再び抜けてパチリ。
帰りは慣れましたが。

渋谷通から南に抜け太閤秀吉が眠ると言われる阿弥陀ヶ峰豊国廟への急な石段から見下ろした図。手すりがなく木立に光を遮られて昼でも暗い。

豊臣家滅亡後の家康は阿弥陀ヶ峰中腹近くにあった豊国神社の社殿も頂上のここにあったお墓も破壊。阿弥陀ヶ峰にこのお墓が再建されたのは明治になってからでした。

で、現在国立博物館北隣にある豊国神社は明治期に再建された物。境内にある馬塚はそれより以前にあった秀吉の旧墓石と言われています。
あちらを参拝しても頑張ってこのお墓まで来る人は少ない。
豊国廟の入口付近の駐車場にはヤマザクラか何かの紅葉が1本だけありました。

再び高瀬川付近。五条を下がった所の銭湯。
このあたりは五条楽園の一郭で、古き良き昭和ノスタルジーの雰囲気がある。

五条河原町下がるちょい東入る。

寄り道して四条通りの嵐電踏切にて

暮れゆく街の家路を急ぐ  ガタゴト ガタゴト
京都山科へのトンネルまでの東山越えのハードな坂道。ここは急な部分を歩く事で凌げました。しかし帰りに寄った豊国廟の500段余りの長くて急な石段は想定外。日頃の運動不足の身には過酷でした。おかげで2日間ふくらはぎが筋肉痛でした。
また別の意味で、霊感の強い人、高所恐怖症、暗い場所が苦手な人にはハードコースかも。
豊国廟の拝殿(石段を見下ろす写真で少し見えている建物)横の広場を太閤坦(たいこうだいら)と呼び、ここに豊国神社の旧境内の立派な社殿がありましたが家康により破壊されて今は夢の跡となりました。ここが賑わうのは春の花見の時くらいです。

関連ページ「秀吉から龍馬へ」
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